スパイ防止法とインテリジェンス体制再構築における制度的リスク
- Hinata Tanaka

- 2025年12月5日
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☝️この記事のポイント:
国家情報局構想には、意思決定能力の強化と権限集中リスクの両面が存在している
インテリジェンスの多様化つ高度な運用プロセスを踏まえた体制変化が必要である
インテリジェンスには国民の理解と民主的統制の強化とそれらのバランスが重要である
こんにちは、サニーリスクマネジメントです。
政権が交代し安全保障関係の政策が大きく変わる中で、「国家情報局」の設置や「スパイ防止法」の制定など、日本のインテリジェンス(諜報)体制の再構築に関する議論が進んでいます。国家安全保障上の課題解決が期待される一方で、制度設計によっては情報統制や恣意的運用のリスクがあるといった指摘もあります。今回はこの国家情報局やスパイ防止法の新設について、日本のインテリジェンスについて整理しながら、スパイ防止法とインテリジェンスに期待されることとリスクを見てみましょう。
本記事は特定の政策や政党の支持・批判を目的としたものではなく、学術(社会科学・法制度・安全保障)の見地からリスクと可能性の両面を公平に整理することを目的としています。
【目次】
「国家情報局」と内閣情報調査室
創設が検討されている「国家情報局」は、現在の内閣情報調査室を格上げし、各省庁に指示する権限を付与することが実施方針として挙げられています。外交や安全保障におけるインテリジェンスコミュニティ(インテリジェンスに関わる機関)である国家安全保障局と同格になるとされる「国家情報局」には、官邸主導でのインテリジェンス活動を強化する目的もあります。
「国家情報局」は「日本版CIA」とも例えられる組織であり、創設されれば省庁を横断したインテリジェンスを司る組織となる可能性があります。各所から集めた情報を一元管理することは迅速な意思決定に寄与する一方で、権限が1つの組織に集中しすぎると監視的な運用を助長するリスクもあり、情報共有のバランスが焦点となるでしょう。
世界の中でも先進的なインテリジェンスコミュニティを持つ国のひとつ、アメリカでは、インテリジェンスが功を奏した例もあれば、情報伝達がうまくいかなかったり、恣意的な解釈がなされたりすることで的確な意思決定が阻害される「インテリジェンスの失敗・暴走」により、危機の回避が出来なかったことがありました。その一方で、制度を強化すれば監視国家と化すリスクもあり、インテリジェンスコミュニティの円滑な運営は長年の課題のひとつでもありました。
インテリジェンスにおいては、セキュリティのために情報へのアクセスを限定する「Need to know」と、より円滑で的確な情報収集・意思決定のために情報を共有する「Need to share」という考え方があります。これらは情報の公開・非公開という表裏一体のような存在であり、どちらかに偏ってしまうと効果的な意思決定が阻害されたり、セキュリティ上の懸念が生じたりする恐れがあります。だからこそ、インテリジェンスコミュニティを運営するにあたっては両者のバランス管理が不可欠です。
「国家情報局」はこうしたインテリジェンスそのものが持つ課題と、日本の行政の特徴である「縦割り」による課題をコントロールし、各インテリジェンスコミュニティの調整役としての機能を強化することが期待される一方で、権限のあり方にも注目する必要があります。

スパイ防止法とインテリジェンス
2025年10月には与野党の連立合意文書でインテリジェンスの大幅拡充が確認され、その中には「諜報・防諜・非公然活動」が検討すべき点として示されています。また11月末にはいくつかの政党からスパイ防止関連法案が提出されるなど、スパイ防止法関連の動きとそれに付随した世論の加熱が目立ちます。
現行法においても、不正競争防止法や特定秘密保護法、国家公務員法、地方公務員法など複数の法律において機密情報を組織外に漏洩してはならないことなどを規定しており、刑事罰や職務上の罰則が科されます。これらの法令は、国際・国内情勢の変化に伴い年を追うごとに施行・改正されてきたものです。「スパイ」と聞くとこれらの法律で規定されているような、人が情報を漏洩する、あるいは実際にスパイと呼ばれる人々が情報を盗むといったイメージがありますが、実際のインテリジェンスはどのように運用されているのでしょうか。
実は、インテリジェンスにはいわゆるスパイによる諜報活動以外にも様々な手法が存在します。例えば「スパイ」の代名詞・人的資源により諜報を行うHUMINT(ヒューミント)は20世紀の技術革命まで主として使われてきた古典的な手段であるとされています(Kamiński, 2019)。20世紀以降は、地理的情報を利用するGEOINT(ジオイント)、通信などを介して情報を得るSIGINT(シギント)、測定したレーダーや音波などの定量的・定性的な分析から情報を得るMASINT(マシント)、公開情報を利用するOSINT(オシント)といった手法が顕著に発展し、主なインテリジェンスの手法として運用されています。
図1〜5 インテリジェンスの手法(著者作成)
現在、技術投資が必須となるGEOINTやSIGINTに対して多くの予算が割かれるようになり、特に21世紀に入ってからは情報社会化やサイバー空間の隆盛に伴ってOSINTが発展してきました。反対に、米国においては技術の発展に伴いこれらのインテリジェンスの比重が大きくなるとともに、多大な人件費やリスクを伴うHUMINTは衰退の一途を辿っています。Steele(2010)は、1970年代以降の米国のインテリジェンスについて、「OSINTはHUMINTの材料の80%を占めるが、(米国は)それを軽視したことでHUMINTの能力を弱めた」と指摘しています。つまり、現代のインテリジェンスでは単にいわゆるスパイを増やすのではコストとリスクが大きくなるばかりであり、いずれにせよその有効な運用にはOSINTの強化が欠かせないのです。
インテリジェンスは情報を集めるだけで終わるのか
ここまで、いわゆるスパイによるHUMINTや前述の様々なインテリジェンスの手法を見てきました。これらはインテリジェンス活動のほんの一部にすぎません。実のところ、インテリジェンスはただ情報を獲得するだけでなく、より複雑で高度な活動です。Lownthal(2022)は、それをインテリジェンス・プロセスとして、「政策決定者がインテリジェンスへの必要性を認識してから、要求を受けたインテリジェンスコミュニティがインテリジェンス・プロダクト(取得した情報に基づく意思決定の材料)を生産し、これを政策決定者に伝達するまでの一連の過程」と定義しています。
このプロセスは、しばしば料理に例えられます。ケーキに例えるならば、ホールケーキを欲しい人が、何かしらのイベントのためにケーキが必要だと思ってケーキ屋さんにホールケーキを注文し、注文を受けたケーキ屋さんが様々な仕入れ先から卵や牛乳や小麦粉といった原料を仕入れ、混ぜたり焼いたりして出来上がったケーキを注文者に渡す、そして注文者が消費する、と考えると少し理解しやすくなるでしょう。
インテリジェンス・プロセスの視点から見てみると、前述のインテリジェンスの手法は、インテリジェンス・プロダクトを生産する段階のほんの初めの部分だということがわかります。ケーキで例えるならば、原材料を仕入れる段階です。原材料を並べるだけではケーキは出来上がりませんから、それらを調理するように、取得した情報も分析や解釈、組み合わせなどを通じて判断材料として使用できる形に整えなければなりません。
また、小林(2025)は、インテリジェンス・プロセスをの運用を段階ごとに検討する手法としてインテリジェンス・サイクルを定義しています。インテリジェンス・サイクルは上記のインテリジェンスプロセスをPDCAサイクルのように整理したもので、複雑なインテリジェンス・プロセスを繰り返される意思決定の一部として簡素化して捉えることができます。


これらの構造を捉えた上でインテリジェンスの各段階が適切に運用されているかを検討することで、インテリジェンスは初めて暴走や失敗を防ぎながら安定的に運用できるようになります。さらに、広義のインテリジェンスを考えると、「防諜」とも呼ばれるカウンターインテリジェンスも軽視できません。これは、先述のように公開情報に基づくOSINTが発展している現在において欠かせない項目であり、国家だけでなく企業における経済安全保障や経営戦略でも必要なものです。
民主的統制と国民の理解
インテリジェンスを安全かつ効果的に運用するためには、インテリジェンスの失敗を最小化し、暴走を防がなければなりません。その役割を担うのが、民主的統制です。小林(2025)は、『効果的なインテリジェンス機能の維持・発展のためには、インテリジェンス部門に対する国民からの信頼の確保が不可欠』と論じており、予算確保・インテリジェンスの政治化の抑止・秘匿性の確保のために、インテリジェンスコミュニティの人事や予算編成過程、組織の設置に関わる法令(根拠法)をもって、立法府・行政府による統制を組み合わせバランスをとることが必要であるとしています。
日本は欧米と比較して民主的統制が簡素であり、今後「スパイ防止法」や「国家情報局」「対外情報庁」設置の文脈で議論されることが期待されています。現在の「スパイ防止法」をめぐる議論においてはG7各国と同じレベルのスパイ防止法の制定が大きな文脈となっており、スパイ行為の厳罰化を主眼に置く法案も出ていますが、法令や制度の変化と同時に民主的統制の強化や成熟も検討しなければなりません。
また、今後「スパイ防止法」関連の議論を続けるにあたって、世論を形成する国民のインテリジェンスに対する社会科学的・学術的な理解も必須となります。The Chicago Council Office of Global Affairs(2023)によれば、米国の1000人を対象にした調査から、「インテリジェンスコミュニティは外国の脅威に対し重要な役割を果たす」と回答した人が50%以上の状態が続いていることが分かっています。このほかにも、インテリジェンスコミュニティの責任や外国人のプライバシー権の尊重、インテリジェンスコミュニティの監視など様々な項目にまつわる国民の考えが明らかになっています。特に、インテリジェンスコミュニティは時に国民の主権やプライバシーに関わる「権限」的な側面も持っているため、人々はインテリジェンスの透明性にも強い関心を持っています。
問題は、私たち日本人も米国の市民と同程度のインテリジェンスに対する理解・関心を持っているだろうかということです。インテリジェンスの運営には国民の信頼が不可欠であり、そのためには国民一人一人がインテリジェンスに関しての基礎知識を持ち、民主的な側面から権限としてのインテリジェンスコミュニティに目を向けなければなりません。だからこそ、この記事を通して、覚えていただきたいインテリジェンスの基礎知識をお伝えします:
①インテリジェンスは、判断を支える仕組みである
②インテリジェンスは統制と共有のバランスでできている
③インテリジェンスは権限の側面を持っており、民主的統制が必須である
この3つを知っておくだけで、今後のインテリジェンスや関連した議論に関する見方が変わるでしょう。法律や制度の変化とともに、個人や組織での情報管理や情報倫理に関する教育、インテリジェンスへの関心を拡大することも重要なのです。














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