平和教育だけで本当に戦争を防げるのか?長崎で問う平和と安全保障
- Hinata Tanaka

- 8月8日
- 読了時間: 7分
こんにちは、サニーリスクマネジメントです。2025年8月は第二次世界大戦の終戦、そして8月6日は広島、9日は長崎に原子爆弾が投下されて80年となります。「戦後80年」で世界的に注目されている日本、そして広島と長崎。
県外の大学を卒業して長崎に戻ってきた私も、ここにいると平和について改めて考えさせていただく機会がたくさんあり、私の思う現代の平和の形を言葉にしようとこの記事を執筆しました。
普段は危機管理や安全保障の面から世界情勢を見ていますが、今回は私が長崎で受けた平和教育と、その後長崎を出て学んだ安全保障の視点から、現代の平和構築を考えてみます。
【目次】
長崎で学んだ平和と安全保障との出会い
長崎にいると、さまざまなところで平和に触れます。特に今年は被爆80年という節目の年。ニュースでも平和祈念式典や被爆地の話題が多く取り上げられ、美術館でも戦争画の展示があり、街中で折鶴を募集しているのを見たこともありました。
日常の中で平和を語るこの街で、「ナガサキを最後の被爆地に」「核なき平和」といったスローガンをよく耳にします。小学生の時には8月9日に登校して語り部による被爆講和を聞いたり、原爆に関する映像を鑑賞したりという経験があります。その時に見た原爆投下後に沸き立つキノコ雲やひどい火傷を負った子どもの姿は今でも目に焼き付いています。平和の歌を歌ったり、休み時間に折鶴を折ったり、そうした活動もしていました。
高校は長崎市外だったので特に平和教育というものも受けていないのですが、私に新たな平和の視点がもたらされたのは大学進学後。全国でも類まれな危機管理を学ぶ大学で、初めて安全保障に触れます。
長崎での平和教育では、語り部の話を聞いたり、原爆資料館に行ったり、当時の映像を見たりと感情に訴えるものが多く、子どもながらになんとなく「戦争はダメなんだ」と思うようになりました。一方で、安全保障を学ぶと「戦争は無実の市民を巻き込むものであり許されないが、現にさまざまな理由で戦争が起きている」ことを知り、改めて「平和とは何か?」という問いの答えを探すことになりました。
戦争は変化する
平和の大切さを訴えたり、戦争反対を掲げることは間違っていません。原爆という当時最も威力が大きかったであろう最新兵器や空襲・上陸戦で市民や街が大きな被害を受け、その苦しみは戦後80年を経っても続いています。当時のことや被害、その後のことを被爆証言や戦争証言という形で語り継いだり、遺物や被害を受けた建物を保存・展示したりすることは、被害を受けた地域における最も重要な役割です。
そうした取り組みは、危機管理ではクライシスコミュニケーション(危機が発生した後にそのことを伝承すること)と呼ばれています。戦争を知らない世代が多くを占める現代、戦争を知る・伝えることは平和を考えることにおいて大切な要素となるでしょう。ただ、安全保障の観点では「平和を願う」だけでは戦争はなくならない、という現実があります。
1945年から80年を経て、戦争は大きく変化しました。現代の戦争は、人間が武器を持って戦ったり、ミサイルを飛ばしたりという武力衝突だけではありません。ドローンやロボットが戦うようになったりAIを導入したりして武力戦争が高度化しており、特にAIに関しては火薬・核兵器に次ぐ「第3の軍事革命」といわれています。また、その一方で、情報戦やサイバー攻撃、苛烈な経済戦争など、武力を用いない戦争の存在感も大きくなってきており、今や戦争の種が日常に潜んでいると言っても過言ではありません。
核兵器の使い方に関しても、冷戦期にみられた「核抑止」(核兵器(の威力)をもって攻撃を抑止すること)だけにとどまらず、新たな考え方が定着しつつあります。それが「エスカレーション抑止」という『通常戦争において劣勢に陥った場合には戦略核抑止を維持し
つつ戦術核兵器を使用するという戦略』(小泉, 2020)、つまり、「武力戦争で劣勢になったら、各国の軍事力のバランスを保つための核兵器(戦略核)を持ちつつ、比較的威力や飛距離の小さい核兵器(戦術核)を攻撃に使う」という戦略です。冷戦期から議論はされていたものの、それが顕著に現れたのは2022年から続くウクライナ戦争でのロシアの動きであり、それが「エスカレーション抑止」でした。現在の世界情勢を見てみると、核開発や核配備を進める国があったり、軍縮よりは軍拡の傾向があったりするということは押さえておきたいです。

ひとえに「核兵器」といっても、その使われ方は戦略や戦術のフェーズによって様々です。大まかには、戦略核は使わないことで意味がある抑止力としてのもの、戦術核は比較的威力の小さい兵器を実際に使うことを想定しているものと考えることができます。ただ、エバンズ・川口(2009)は、戦略核の大量使用について『短期的・長期的な破壊的影響は人口密度が高い地域で戦略核兵器を使用した場合と実質的に同じであることは明らか』とし、また、戦略核の使用は本格的核戦争を起こす危険性が極めて高いと警鐘を鳴らしています。
もっと詳しく:戦術核とエスカレーションについて
平和と安全保障、備える意義
全く戦争のない・武器のない世界こそ真の平和なのでしょうか?上述の核兵器の使い方にも見られたように、国際情勢・安全保障は常にリスクとの戦いですし、190以上の国や地域が集まっているこの世界で、全てが同じ考え方をもっているわけではありません。
それぞれの国や地域にそれぞれの歴史や文化、考え方があり、ある国にとっての利益が別の国にとっての不利益となることもあります。各国や国際組織の協力や自国の努力で利害調整などを行いながら「何も起きないように備えている状態」こそ、現在の平和かもしれません。
日本における安全保障では米国との関係や防衛費の増額、自衛隊の装備の向上などが話題になることが多いですが、実はこのほかにも平和を保つ活動を世界各地で続けています。例えばPKO(国連平和維持活動)の一部として停戦監視や連絡調整のために人員を派遣したり、現代海賊の活動がみられるソマリア沖に護衛艦を派遣して警戒や護衛にあたったりと、私たちの日常生活にも間接的に関わるような場面で情勢悪化や戦闘・犯罪のリスクを戦わずして最小化する取り組みが国際協力として行われています。
こうした日本や世界各国の平和に関する取り組みが平和教育の中で扱われることは、どのくらいあるでしょうか。PKOやODAは耳にすることもありそうですが、平和教育では第二次世界大戦における日本本土への空爆や地上戦による被害にフォーカスされることが多く、その後の時代に世界各国や日本がどのような体制や安全保障をとってきたのかということを知る機会は少ないかもしれません。平和を希求することは人類の恒久の願いだと思います。しかし、戦争の現実や現代のリスクの視点も組み込むことでより現実的な平和のあり方を考えることができるのではないでしょうか。
知ることが平和の第一歩
第二次世界大戦から時を経て戦争の手段や形式が変化する現代。2025年の平和記念式典で、まさに「現代を見つめる平和」が現れた瞬間がありました。広島県知事の挨拶では、広島の復興と繁栄に始まり、国際秩序の変化や『剥き出しの暴力が支配する世界』に触れ、こう問いました:
『このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。』
歴史的な戦争を取り上げ、杜甫の『春陽』の一節を引用しながら核廃絶を改めて『現実的・具体的目標』とし実現への歩みを止めない、と締めくくっています。
日本ではまだ軍事や安全保障が避けられる場合もありますが、この広島県知事の挨拶が示唆するように、平和構築を現実的に考えるためには国際情勢や安全保障を知ることも必要かもしれません。安全保障を知ることは戦争を肯定することではなく、安全保障という形で戦争を防ぐ方法を学ぶことこそ、今の平和を守ることに繋がるのではないでしょうか。
私は、長崎で平和教育を受けその一方で県外で安全保障の視点を得た立場として、被爆の記憶の継承を尊重する一方で、世界が目まぐるしく変化し各地の情勢が不安定な現在だからこそ、安全保障の側面も含めた平和構築をこれからも考え続けたいと考えています。





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